久々の筑波山

本日は仕事、

気温23-36度晴れ

36度って体温ではないのか

熱中症で死す

となりかねない。

さて庭

 

アサガオ二つ咲く

地植えはまだ

 

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幼児のプールに使うおむつ

あるんだって

初めて知る

 

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クレマチス

 

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ケイトウ

 

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久々の筑波山

 

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気象庁天気図

 

この台風は日本本土には影響しない見込みと

 

今週は五輪開催

日本人の感染が一向に収まらない今

続々と海外のウィルスが入ってくる

もう水際では抑えられない

旧日本軍のように

水際作戦はどのくらい効果があるのか

硫黄島のように

 

太平洋戦争の顛末を史実として知っている現在の我々にしてみると、50数年前、日本軍が水際撃滅方式にこだわり続けたのは不思議に思える。だが、「旧日本陸軍は頑迷固陋」と言って済ますわけにはいかない。過去の成功体験に基づく教義にとらわれ世の中の変化に追随できない事例や、新しい方針についていけないメンバーを抱えた混迷プロジェクトは現在でも見出せる。

 合理的に考え、新しい戦術を編み出した米国海兵隊に対し、栗林中将も合理的に考え、新しい戦術をもって対抗した。早稲田大学の留守教授が指摘するように栗林中將は「帝國陸軍には珍しい合理主義精神の持主」だったわけである。栗林中将はなぜそうした合理主義精神を持つことができたのか。もって生まれた資質に加え、38歳から5年間、米国やカナダに武官として駐在した経験が影響している。

 『闘魂 硫黄島』の著者・編者である堀江氏は、「自ら先頭に立って何でも自分で決めて行くという(中略)兵団長の行き方は在米隊付の間に米国軍隊から学びとったことは事実で、兵団長自らそれを認めていた」と書いている。兵団長とは栗林中将を指す。司令官なのであるから、「自ら先頭に立って何でも自分で決めて行く」のは当然とも思えるが、日本陸軍は違った。堀江氏によると栗林中将が更迭した旅団長は「部下の案をよく聞いて承認していくという日本陸軍一般のタイプ」で、栗林中将と対照的であったという。

 38歳から5年間、米国やカナダに住み、軍事と米国研究を続けた結果、米国の国力と軍事力を熟知するに至った。硫黄島で混成第二旅団隊長を務めた武蔵野菊蔵氏が『闘魂 硫黄島』の中で述べていることだが、武蔵野隊長は栗林中将から次のように言われた。

 ぼくは米国に五年ほどいたが平和産業が発達していて、戦争ともなれば一本の電報で数時間を要せず軍需産業に切り換えられる仕組みになっているのだ。こんな大切なことを日本の戦争計画者たちは一つも頭においていない。僕がいくらいっても一向お分かりにならない。この戦争はどんな慾目で見ても勝目は絶対にない。しかし、われわれは力のあるかぎり戦わなくてはならない。血の一滴まで戦わなくてはならない。

出典

https://xtech.nikkei.com/dm/article/COLUMN/20070228/128267/?P=2

 

 

水際撃滅作戦でうまく行ったためしがない。

過去の教訓が必要では

 

ところで

大相撲

また肘打ちびんた

相撲は神事

勝った負けたではない

人格も必要と思う。

神事なのだから

神さまはこんなびんたを

許すとは思わん

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