仏を感じた

今回の国家試験合格は、

お力を頂いたと感じました。

念仏を唱え、一心不乱に祈る。

運慶が一刀ごと念仏を唱え仏像をつくったと。

仏様はその時、念仏を

唱えるたび、現れてお力を下さったと感じた。

 

実は国家試験に合格することが目的でなく、

自分で合格するかどうかわからない、この案件に対して

もし仏の奇跡がひょっとすると合格という形で

見せてあげられたら、とても素晴らしいと考えていました。

この時間ギリギリまでかかり時間外の作業もあったこの案件、

もし合格としたら仏のお力と考えられる。

三人の方に合格前お話ししました。

一人は霊的な力のある方、もう一人はあまり仏のことが分からない方、

もう一人は全然宗教心のない方。

自分は国家試験に受かって職場で権威的なポジションを得るとかいう気持ちはない。

また受かってもそんなポジションもとれない。

言ってみれば、意味がない資格です。

給料が上がるわけでもない。

結果的にはわずかな時間の練習で合格した奇跡、

それを見せたかった。

これが自分の考え。

意図するものが奇跡で終わってしまうものだ

と強く感じた。

人を幸せにする行為、

それが一番大事なことだと

白紙に戻って考えると

間違いであることが分かる。

なんで試験受けた?

のだろうか?

やはり社会的権威、地位が得られるのもしれないと思って。

なのかもしれない。

しかしながらそれは得られないし、給料が上がるわけでもない、

手当てもつかない。

もちろんかかった受験料、テキスト代一銭も出ない。

なんで受けた、

なんで受けた、68歳でチャレンジしても取得できる証明。

雇う側も68歳の老人だと資格取られても使い物にならんのではと思われるかもしれん。

25歳くらいの若者であれば有用だが、ロウトル

は使えない人材なのか