硫黄島の頭蓋骨、米軍兵士の記念品集めについて
硫黄島の戦いは、太平洋戦争末期の1945年2月19日から3月26日にかけて、日本軍とアメリカ軍が硫黄島をめぐって戦った戦いである。この戦いは、日本軍の激しい抵抗によって、アメリカ軍にも多くの死傷者を出したが、最終的にはアメリカ軍が勝利を収めた。
この戦争で、アメリカ軍は多くの日本兵を殺害した。その中には、日本兵の頭蓋骨を記念品として持ち帰った兵士もいた。この行為は、日本側から強い抗議を受け、戦後も両国の間で論争の対象となっている。
米軍兵士の記念品集め
硫黄島の戦いで、アメリカ軍兵士が日本兵の頭蓋骨を記念品として持ち帰ったという話は、戦後すぐに日本に伝わっていた。しかし、当時は戦争の記憶がまだ生々しく、日本では戦争の残虐性を示すものとして、あまり語られることはなかった。
1970年代以降、硫黄島の戦いをめぐる研究が進むにつれて、アメリカ軍兵士の記念品集めの実態が明らかになってきた。それによると、アメリカ軍兵士は、戦場で日本兵の頭蓋骨を持ち帰ることを一種の「勲章」として捉えていた。また、頭蓋骨を磨いたり、ペイントを塗ったりして、記念品として加工する兵士もいた。
日本側の反発
アメリカ軍兵士の記念品集めは、日本側から強い抗議を受けた。日本では、頭蓋骨は「魂の器」と考えられており、それを持ち帰ることは、故人の遺体を冒涜する行為とみなされた。また、戦争の犠牲者をモノとして扱うことは、戦争に対する敬意を欠いた行為であると批判された。
日本政府は、1972年に硫黄島の返還交渉を行った際に、アメリカ側に頭蓋骨の返還を要求した。しかし、アメリカ側は、頭蓋骨の多くが戦争中に失われてしまったとして、返還を拒否した。
戦後も続く論争
アメリカ軍兵士の記念品集めは、戦後も両国の間で論争の対象となっている。日本では、頭蓋骨の返還を求める声が根強く、遺族団体などがアメリカ政府に働きかけを続けている。
アメリカ側は、頭蓋骨の返還に消極的な姿勢を続けている。アメリカ政府は、頭蓋骨の所有権は遺族にあると主張しており、遺族の同意を得られない限り、返還はできないとしている。
遺骨収集の取り組み
日本政府は、硫黄島の戦没者遺骨収集を積極的に推進している。2018年には、硫黄島の戦没者遺骨収集で、米軍兵士の遺骨が初めて発見された。この遺骨は、戦争中に持ち帰られた頭蓋骨の可能性もあると指摘されている。
日本政府は、今後も硫黄島の戦没者遺骨収集を継続し、1万人以上とされる行方不明者の帰還を実現したいと考えている。
考察
アメリカ軍兵士の記念品集めは、戦争の残虐性を示す一つの例として考えることができる。戦争においては、人間の尊厳が簡単に踏みにじられてしまう。戦争の悲惨さを忘れないためにも、この問題をこれからも語り継いでいく必要があるだろう。
今後の課題
アメリカ軍兵士の記念品集めは、戦後も両国の間で論争の対象となっている。この問題を解決するためには、両国が真摯に向き合うことが重要である。
具体的には、次の課題が挙げられる。
- アメリカ政府が、頭蓋骨の所有権を遺族に明確に譲渡すること。
- 日本政府が、遺骨収集の過程において、米軍兵士の遺骨も丁寧に扱うこと。
両国がこれらの課題に取り組むことで、この問題の解決に近づくことができるだろう。
やはり首をはねるなどに同胞がするわけがないと思っていたが
アメちゃんが首はねたのか
戦争に負けて、戦争すんじゃねえ―という憲法叩きつけられて
それに「へい へい」と従う日本人。
なんかおかしい。