草刈正雄、父親の生存を70歳で知る

ファミリーヒストリーで自分も見たのだが

どうしても言いたくてこの記事を書く。

 

草刈正雄さんの父、ロバート・H・トーラー

草刈正雄さんの父、ロバート・H・トーラーは、1930年アメリカ合衆国ノースカロライナ州に生まれた。18歳でアメリカ空軍に入隊し、朝鮮戦争に従軍した。1951年、福岡県の築城基地に配属され、兵士たちに本国から届くエアメールの仕分けや配達をする部署に在籍していた。

出典

https://news.yahoo.co.jp/articles/f9322f163e6d9908bef75721eef7d4940bc80a90

そのとき、草刈正雄さんの母、スエ子さんと出会い、交際を始める。1952年、スエ子さんが妊娠したことを知り、結婚を決意する。しかし、朝鮮戦争は泥沼化しており、ロバートさんは帰国を命じられてしまう。

スエ子さんは、ロバートさんから「帰国したら迎えに来る」と約束され、福岡で一人、草刈正雄さんを出産した。しかし、ロバートさんは帰国することなく、1953年に朝鮮戦争で戦死したと報道された。

スエ子さんは、草刈正雄さんを一人で育てるために、福岡市でクリーニング店を開業した。草刈正雄さんは、幼い頃から母親の手ひとつで育てられ、母親の強い愛情を注がれて育った。

草刈正雄さんは、俳優として成功を収め、日本を代表する俳優の一人となった。しかし、父親の存在については、母親から「戦死した」と聞かされていたため、ほとんど何も知らなかった。

2023年、草刈正雄さんは70歳の誕生日を迎えた。そのとき、NHKの番組「ファミリーヒストリー」の取材を受け、父親の生存を知り、衝撃を受けた。

ロバートさんは、朝鮮戦争で生還後、日本に残り、スエ子さんとは別々に暮らしたという。その後、ドイツに渡り、ドイツ人女性と結婚して、2013年に83歳で亡くなった。

草刈正雄さんは、番組で父親の墓を訪ね、初めて父親と対面した。そのとき、草刈正雄さんは、父親の遺影を見つめながら、涙を流した。

草刈正雄さんは、父親の生存を知り、さまざまな思いを抱いた。父親に会いたくても会えなかったこと、父親がドイツ人女性と再婚したこと、父親が戦争で生き延びたことなど、さまざまな思いが交錯した。

しかし、草刈正雄さんは、父親の存在を受け入れ、父親への感謝の気持ちを語った。また、父親の死をきっかけに、母親の人生を振り返り、母親の偉大さを改めて感じたと語った。

草刈正雄さんの父親は、朝鮮戦争で生還後、日本に残り、スエ子さんとは別々に暮らした。父親の行動は、当時の社会情勢や、スエ子さんとの複雑な感情など、さまざまな要因が絡み合ったものだったのかもしれない。

しかし、草刈正雄さんの父親は、戦争で生き延び、そして、新たな家族を築き、人生を歩んだ。そのことは、草刈正雄にとって、父親への大きな贈り物となった。

草刈正雄さんは、父親の生存を知り、父親への思いを新たにした。そして、父親の姿を胸に、俳優として、そして一人の男性として、これからも歩んでいくだろう。

時代が太平洋戦争終結からそう立ってなかったので

ロバートのおばはスエ子が渡米したいことをロバートに伝えなかった

かつての戦争の相手国、普通のアメリカ人はみんなそうしたのだろう。

それで彼はドイツへ軍関係の仕事をしに行く。

それでロバートとスエ子は別々の人生を歩む。

そう、死んだ者ののロバートということになった。

自分はmen's cubで草刈正雄を見た、カッコいい。外人はカッコいい。

外人かよモデルみんなこんなのばかりだよと思った雑誌であった。

そのように彼はそれで成功し、モデル俳優と大成していった。

日本でも有名な俳優になった。

それでもうロバートも死んだ後、有名になった正雄とおばは会うという。

自分を捨てた父親の身内と会うという。

違う気がした。

ロバートが生きている時に会うべきだろうと。

しかしながら草刈正雄さんは渡米した。

すごいなと自分だったらどうだろうか、彼より1歳下だが

わからない

わからない

多分会わないかも