本日の筑波山は
ここ中央にいるのだが
朝焼けだし
見えるでしょうか
本日は古河市を行く
途中
古河長谷寺を通過する。
日本三大観音の一つである古河長谷観音は今を去る事五百余年前室町幕府を開いた足利尊氏公の血脉をひく足利成氏公により建立された。
足利成氏公は宝徳元年(一四四九)に室町幕府の命を受け京より関東管領として鎌倉に派遣され鎌倉公方と称されたが、関東豪族上杉氏と敵対したため幕府と対立し康正元年(一四五五)下総国古河に移り古河公方と称し関東に足利成氏有りとの威厳を誇った。
のが長谷寺。
http://www.hasekannon.org/syokai/?no=2引用
このように茨城には名所があり魅力的な県なのですね。
歴史[編集]
戦国時代の明応2年(1493年)、初代古河公方の足利成氏が古河城の鬼門除けとして、鎌倉の長谷寺から十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源。江戸時代には、歴代古河城主の祈願所ともなった。文政13年(1830年)頃に書かれた『古河志』には、大和(奈良県)および鎌倉にある長谷観音と並び、「三長谷」と呼ばれていると紹介されている。明治初年(1868年)に廃寺となり、八間四面の本堂も破壊されたが、大正3年(1914年)、有志の寄付により元の地に再興された。なお、その間は十一面観音は市内横山町の徳星寺に移されていた[2] [1] [3]。
日本三大長谷観音の一つとされる由来としては、一本の楠から大和・鎌倉・古河の長谷観世音像が彫られたとも口伝されている[4]。
文化財[編集]
葛飾坂東観音霊場[編集]
長谷寺(長谷観音)は葛飾坂東観音霊場の番外札所である。ご詠歌は 「いつの世も 三国の衆生を すくわんと ちかいもかたき 長谷観音」[6]
葛飾坂東観音霊場では各寺院に「ご詠歌」があり、参拝時にご詠歌を唱えることは、経文読唱と同じ功徳があるとされる[7]。
魅力度ナンバーoneですね。
行ってやって茨城