本日の筑波山は
本日も靄がかかっています。
じっと固まっている、
猫が信号待ちの間もこの状態をキープ
日向ぼっこみたい。
これは心無いドライバーが廃棄したゴミ
困った日本人だ。
本日は春日部に行く
ここは東武線
夕方で仕事の終わりの人か
そうして
一日もこのピンクの闇で終わりだ。
本日の筑波山は
畑で農家の人が大好きな
「火もし」・・・・・・火燃し
筑波山に煙がかかってしまっていた。
山頂のう上にも雲が浮いてる。
これは、飼料米を作って丸めたものだ。
補助金が出るんだと
赤バラだっぺ
咲いていた。
常総市を走行中
この標識を見る
長塚節の生家だ。
農民文学の偉大な茨城の偉人
「長塚節」
農民文学不朽の名作となった「土」の作者・長塚節 国生に残る生家
農民文学不朽の名作となった「土」の作者・長塚節 国生に残る生家
明治43年(1910)に朝日新聞に連載された小説「土」は、文豪・夏目漱石が絶賛し、後には「農民文学不朽の名作」と評価されています。作者の長塚節(ながつか たかし)は、明治12年(1879)、岡田郡国生村(旧石下町、現在の常総市国生)の豪農の長男として生まれています。
節は、3歳のころに小倉百人一首をそらんじ、神童といわれ、早くからその才能を発揮していました。また、父は県会議員を務めたほどの名士で家庭環境は恵まれていましたが、病弱であったため水戸中学(現在の水戸一高)に進学するも中退を余儀なくされました。病を癒すかたわら、そのすぐれた感受性から短歌に目覚め、正岡子規の門をたたきました。
子規のところでは、「馬酔木(あしび)」の編集同人として活躍する一方、伊藤左千夫とともに「アララギ」を創刊し、頭角をあらわしてきました。一方で、病気療養を兼ね、菅笠、草鞋という軽装で諸国を旅し、旧所、名跡を訪ねて歌を詠みました。万葉集の歌風を取り入れた節の歌は、自然を限りなく深い眼差しでとらえています。http://www.city.joso.lg.jp/jumin/kosodate_kyoiku_sports/gakushu/nagatsuka/1420438304985.html引用
このように茨城には名所が多いんです。
魅力ある茨城県です。
やがて暗い闇がやってくるんだ。
本日の筑波山は
朝午前10時です。
「ボー」と筑波山が現れてますね。
これは日光連山
行方不明のフランス人旅行者がいるかもしれないエリアかな。
14時ごろの筑波山
くっきりスマート
そして夕暮れのピンクの闇
一日も終わりです。
茨城県の古河の北方にある
のぎ水辺の学校
夏蛍が見れるという
http://blog.livedoor.jp/dada_2/tag/のぎ水辺の楽校引用
本日は石毛に行く
魅力がある茨城発見のために
豊田城(市民交流センター)
歴史上の豊田城は水の中になる。
「豊田城」というと、豊田地区に聳え立つ、異常なほどの大きさの模擬天守がすぐに浮かぶ人も多いでしょう。関東有数の怪しいお城じゃないかと思いますが、かくいうソレガシもはじめてこの附近に来たとき、遠方に巨大な天守が聳えているのを見て「なんじゃこりゃあ!?」と思ったひとりです。この現代の「豊田城」は正確にはお城と全く関係ない場所に建てられた「石下町地域交流センター」であって、中は郷土の作家、長塚節関連の資料や郷土史資料などが展示されています。まあ遺構の破壊とかは無いわけだし、「模擬天守!」って目くじら立てるようなモノでもないでしょう。ただただその巨大さに唖然と見上げればいいのですから。ちなみにこの「豊田城」、町のあちこちに出城(?)があって、ある種のシンボルになっていることが感じられます。展示内容は結構充実していますが、入館料400円はちとベラボーな気はします。
しかしこの「豊田城模擬天守」とは別に、ホンモノの豊田城もありました。かつては。このホンモノ豊田城は小貝川に架かる「長峰橋」の下流1kmほどの堤防上とその下の二箇所、ぽつんと城址碑が建っています。これで分かるとおり、豊田城は小貝川の河川改修と耕地整理によってすっかり消滅してしまったのです。
http://www.umoretakojo.jp/Shiro/Kantou/Ibaraki/Toyoda/index.htm引用
今は新豊田城で城を見るべき
本日の筑波山は
結構見えた
赤バラも
これは違う
すみません
写っていませんでした。上のほうにいるんだが
そのうち暗くなって
夕暮れが忍び寄る
本日は東京の武蔵五日市へ姉のお墓参りに行った。
命日は11月5日であったが、寒くなる前に行く。
朝出発して立川に行き
その後拝島に行ってから
武蔵五日市で向かった。
その途中で
この観覧車なに?
この観覧車と同じか
東京サマーランドだ。
秋川駅を過ぎてから五日市方面に行く途中見えた。
そして武蔵五日市駅に着く
ここからお墓に向い
お墓についた
お墓参りを済まし
立川の親戚に寄って
帰宅した。
人間の行動って
その人が計画し実行してしまう
行動には
歯止めがききません。
時間は続いて
この空間もずーと繋がっていて
過去にその人がやってきたことは
消えない。
ずーと繋がっている。
50年前だろうがその時のどういう思いでしてしまった行動。
それは消えないで残っているんだ。
繋がっているん。
たとえその人の存在が消えたも
やってしまった行動は繋がっている
それらに関係した人はその行動の
責任があり全うすべきだ。
空間の終わりはない
繋がている。
例えば慰安婦問題
その時のやってしまった行動の
余韻、行動後の履歴の空間がずーと残る。
繋がっている空間に終止符を打ってもいのでは。